マザコン次男の誕生


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書籍
「いつまでもいると思うなお前の母親ーお母さん、明日、死ぬかも-」
第一章 マザコン次男の誕生
12〜18ぺ-ジより
(引用)
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私、権祐二は昭和53年(1978年) 3月、 兵庫県神戸市の兵庫区湊川町の産婦人科で、在日コリアン3世として、 母、文子の次男として生まれました。
実は韓国に一度も行ったことがなく韓国語もまったくしゃべれません。
(NHKのハングル講座でちょっとだけ学習しましたが挫折しました)
教育も日本の小学校、中学校を経て、 日本の工業高校を卒業し、日本で働きはじめました。
なので韓国との接点は、まったくのゼロです。
私は高校を卒業するまで 通名の日本式の「〇〇」を使っていました。
「権」という韓国籍の本名の名字は高校を卒業し、自分の意思で使いはじめました。
本名を使い始めた理由は、かくれてこそこそ名前を偽って生きるのは嫌だったからです。
1945年、日本の敗戦によって朝鮮と日本が別の国にわかれます。
そして日本国籍から自動的に国籍が変わった、日本に定住していた在日韓国・朝鮮人たちは、日本の敗戦後、本名をかくし日本式の通名で生活していることが多いです。
私は韓国の親戚ともまったく関係が断絶され交流はありません。
韓国に行ったことがないのですが、この先、行きそうにないです。
行っても観光旅行で日本に戻ってくると思います。
たぶん私は日本で生まれ、日本で生き、日本で死んでいくでしょう。
なので現状、日本国籍の、帰化を考えてます。
貧しかったです。
家は貧乏で、日本の国から生活保護を受けていました。
家が貧乏だった理由は、私が物心つかない3才のころ母は父と離婚したからです。
父親の記憶は、私はまったくないです。
母方の祖母によると、私の父は、 それは、それは、ダメな、 ろくでなし人間だったそうです。
どれくらいダメなのか、まったくイメージがつきませんが、
聞くところによると、
父は新聞配達の仕事をしていたそうです。
アル中でいつも酒を飲んでいたそうです。
借金ぐせが激しく、お金もないのに
ツケでお店に酒を呑みにいくような男でした。
そして家にお金を入れず
家庭もかえりみない人だったそうです。
父の飲み代のツケや借金のトラブルで、母はかけずり回り
心労が高まって、肺炎になり寝込むこともあったそうです。
私の幼いころの、よく思い出す記憶が、お婆ちゃんと私とで、2人きりのとき、
いかに自分の父親がダメな人間かを、祖母から
何度も、何度も、コンコンと同じ話しを聞かされたことです。
その話しは、祖母によると、
父は病気がちで寝込んでいる母や、子供たちの世話も、家の家事もせず
「ほったらかし」の状態だったそうです。
そんな私たち家族のことが心配で、ある日、母方の祖父が
祖母に我が家の様子を見に来させました。
母は熱を出して寝込んでいたのですが、
2歳ぐらいの私が「びえー!」と鼻から
青っパナを出して泣いていたというのです。
どうやら、1日以上?ほど、
ご飯を食べさせていなかったらしくて。
びっくりした祖母は、急いで近くの
パン屋さんに駆け込んでいきました。
急遽、我が家に戻ってきた祖母は
適当に買った菓子パンを私にあてがいました。
私は、その菓子パンに青っパナをつけ、
餓鬼のようにかじりつき、貪(むさぼ)るように
食べはじめたそうです。
このときの記憶も私自身まったくないです。
私が食い意地がはり、子供のころから肥満児だった理由は
このちょっとした飢餓感をうけた、ご飯を与えない軽度の虐待が
原因かもしれません。
このエピソードを祖母は、私と2人っきりになったとき、
繰り返し、繰り返し、私に話すのです。
そしてお前の父親は、本当にダメな悪いやつだったと。
今、考えてみると、祖母にしてみると、私を父親のようなダメ人間にさせない気持ちで、
幼い私に言い聞かせたかったのかもしれません。
しかし小さな子供の深層心理に「自分の父親=ダメ人間」とすり込むのは、
子供の潜在意識や教育上、よくない気がします(苦笑)
母方の祖父であるおじいちゃんは、母が父と離婚したあと、
私が幼いころに亡くなってしまいます。
なので祖母が、離婚して体の弱かった
母や私たち子供をよく面倒をみてくれました。
私の祖母は、いわゆる無学・無教養の人間でした。
小学校もろくに卒業していません。
しかし働きものの、しっかりした女性でした。
定年になるまで、神戸市兵庫区の新開地駅のトイレや施設の清掃仕事をしていました。
でも祖母は欠点も多かったです。
神経質で、他人や家族の愚痴や悪口もおおく
いつも母とガミガミ言い争いのケンカをしていました。
そのせいか、母子家庭の私達と祖母は、
一緒に暮らしていませんでした。
神戸市兵庫区から、須磨区に引っ越して、祖母と私たち母子家庭は離れて暮らしていました。
私が大人になって、1人で祖母の様子を見に行った時も、
ずっと愚痴や、なにか否定的な話をしていたような気がします。
しかし私や、家族が帰ろうとすると、寂しそうにいつまでも私達を見送っていた記憶もあります。
そんな祖母も私が20代のころ亡くなってしまいます。
祖母は欠点も多かったでしょうが、私たち母と子供たちの家族の事を心配し、愛していてくれたのだと思います。
私はそんな祖母に感謝し、祖母を愛しています。
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