ガチ毒親のパパ(育児放棄)

笑いヨガ創立者マダン・カタリア博士
の瞑想の授業で「許し」と「感謝」の課題をしています。

(カタリア博士の瞑想授業の様子)
そう言えばウチの親父は
ガチの毒親でした。
というのは父は私が
物心つく2・3歳ごろに母と離婚しました。
父の記憶は私には、
まったくありません。
聞くところによると父はそれはそれは、
ダメクズ野郎だったそうです。
私が物心ついた小学生の低学年のころ、
亡くなった母方の祖母から、
どれだけ父親がロクデナシ野郎だったかを
2人きりになったときコンコンと聞かされました。
また後に母や兄から聴いた
私の父親像はこんな感じです。
・新聞配達をしていたがほとんど家にお金をいれなかった。
(何に使ってた? 酒?パチンコ?競馬?)
・母が高熱で寝込んでいるとき、母がいくら父に家事や子供のことをお願いしても
何もせずほったらかし。 新聞配達員だから普通の職業より家にいることが多いのに。
・母によると父は5歳の兄を連れて銭湯にいったとき、小さな子供の兄をほったらかして自分だけ家に帰ってきた。
なんで子供をほったらかしにできる?!意味わかんないですよね。母は当時のことをふりかえり「(父のことが)ほんとうに情けなかった
・・・」と嘆いていました。
祖母の証言によると、私たち家族のことが心配になって、ある日、私たちが住んでいる木造アパートに
に訪問してみたそうです。
父親はおらず母が熱で寝込み、5歳ぐらいの兄は部屋のなかで何かオモチャで遊んでいる。
2歳ぐらいの私は青鼻をたらして「ビヤー!」と泣いている。
どうやら子供たちは長いあいだ食事をもらっていないようだ。
ビックリした祖母は急いで近くのパン屋にかけこみました。
子供が食べやすい数種類のパンを買って、すぐに戻り子供たちに食べさせました。
特に私は、青鼻をパンにつけながら
むさぼるように食べていたそうです。
・兄の記憶で、父は私を抱きかかえて「ユウジの方がお前よりかわいいわ〜」
と兄にトラウマレベルの、やってはならない「子供同士の比較発言」をするというクズ親。
・私の下の弟は、生まれて1週間ほどで死んでしまった。
赤ちゃんが死んでも父はめんどくさがって病院にこない。
そんな非常識な父親。
・そんなクズ野郎の父と結婚生活を送ったことで
母は躁鬱病にかかり長年、精神病院に入院と通院生活を送る。
というわけで「プチ毒親だ」と非難している母も
クズ父との結婚生活で、だいぶ苦労していた事実を思いだしました。
家を汚部屋にする母だけれど、
まがりなりにも私たち家族と
いっしよに暮らしてくれた事に
感謝しなければいけないのかもしれません。
おそらく、この毒親の父の存在は
私の人格形成の上で潜在意識レベルで
いびつな影響を与えていると思う。
私も、母も、兄も、父に対して
いろんな葛藤があるとおもう。
どこでどうやって生きていたか知らないが
もう高齢なので父はとっくに死んでるだろう。
カタリア博士から、「許し」の行為をはじめる前の段階として、対象の人物が
死んでいてもいいので、まずは手紙を書きなさいと教えてもらった。
死んでしまった人への手紙は、本当は紙に、その人の、恨み、つらみ、心の葛藤を書いたあと、
火でその手紙を焼き払います。
そうやって相手への憎しみ、恨みを「手放す」(ゆるす)
心のエクササイズになるそうです。
なので父に手紙を書いてみます。
ネット上のブログなので永遠に人様にさらされる
手紙になりますが、
親父は多分死んでるし人に知られても
とくに大きな問題が起こる事ではないので
公開します。
↓↓
「 父へ。
あなたのことを思いだしました。
私はおばあちゃんの木造アパートの緑の化学繊維の絨毯床の上で、
よくあなたの非難を祖母から聞かされました。
まだ子供だった兄さんへ、「ゆうじの方がおまえよりかわいいわ」
なんてホントにクズの発言だな。
兄は「親父に、そう言われたとき、情けなくてしょうがなかった。」
と大人になってから暗い顔をして教えてくれたよ。
そうとう兄はトラウマになってると思うぜ。
俺もそんな事があったなんて大人になるまで知らなかった。
母が躁鬱病になったのも、弟が生後にすぐ死んだのも
あんたの影響がたぶん強いだろうな・・・(執筆中)
」
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関係性を観るのが瞑想
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このように自分の親のこと、過去に起こったことを、
見つめる事は心の中を鷲(わし)づかみされる
少しつらい作業です。
瞑想における「許し」「感謝」のテーマとは
「他人との関係性」を見つめることかなと思いました。
他人との関係があるから、
自分というのがあるわけですから。
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感謝はときに難しい
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いろんな自己啓発セミナーや
偉い人の話で、感謝をするという
精神的エクササイズがありますよね。
特に親である父と母に感謝をのべる行為は
難しいときもあります。
私のように離婚家庭の片親の時は
分かれた親になにを感謝すればいいんだ?と
思いますよね。
なので
私の毒親の父に対しては
「父よ、母と協力して、私を産んでくれてありがとう」
というメッセージ、1択のみです。
少し発想をひろげれば、「父よ、母と協力して兄と、弟を産んでくれてありがとう」
とか、いろんな感謝のリストアップがでそうですが、それぐらいです。
感謝の気持ちがわかない場合は、
前回のブログで書いた手があります。
「母よガチの毒親でなくてありがとう」
「母よあなたの料理は、あまり美味しくないが、作りたてのお好み焼きや、卵焼き、天ぷらは
かろうじて美味しいからありがとう」
など、
許せないときは逆説的な発想で感謝の気持ちや、
リストを書き出してみてはいかがでしょうか。
第1の習慣 自分の天気を持つ
↓↓
https://fce-publishing.co.jp/8h/mov/7h_mov_01.html

のビデオで登場した
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」でも似たような、
逆説発想のエピソードがあります。
【たとえば、強制収容所で亡くなった若い女性のこんな物語を。これは、わたし自身が経験した物語だ。単純でごく短いのに、完成した詩のような趣きがあり、わたしは心をゆさぶられずにはいられない。
この若い女性は、自分が数日のうちに死ぬことを悟っていた。なのに、じつに晴れやかだった。
「運命に感謝しています。だって、わたしをこんなにひどい目にあわせてくれたんですもの」
彼女はこのとおりにわたしに言った。
「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうなんて、まじめに考えたことがありませんでした」
その彼女が、最期の数日、内面性をどんどん深めていったのだ。
「あの木が、ひとりぼっちのわたしの、たったひりのお友だちなんです」
彼女はそう言って、病棟の窓を指さした。外ではマロニエの木が、いままさに花の盛りを迎えていた。板敷きの病床の高さにかがむと、病棟の小さな窓からは、花房をふたつつけた緑の枝が見えた。
「あの木とよくおしゃべりをするんです」
わたしは当惑した。彼女の言葉をどう解釈したらいいのか、わからなかった。譫妄状態でときどき幻覚におちいるのだろうか。それでわたしは、木もなにかいうんですか、とたずねた。そうだという。ではなんと?それにたいして、彼女はこう答えたのだ。
「木はこういうんです。わたしはここにいるよ、わたしは、ここに、いるよ、わたしは命、永遠の命だって……」 】
ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧』新版 池田香代子 訳 p116-117

(こちらをクリック)
子供と親というのは様々な要素がからみあい一言では、
その関係を表現できない場合もあると思います。
毒親といっても、じわりじわりと子供に精神的においつめる親から
本当の犯罪レベルの虐待をする親までいます。
もしこの記事を読んでいるあなたが
立ち上がれないほどの傷を親から受けたのなら、
最後にインド独立の父、ガンジーの言葉を最後に贈ります。
「自分で投げ捨てさえしなければ、
誰もあなたの自尊心を奪うことはできない」
ガンジー
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